「前みたいに働けない」なら、前とは違う働き方をつくればいい。

「まあ、今の私にできる仕事は、このくらいかな」

 

このお盆、久しぶりに会った友人から、そんな言葉を何度か聞いた。

そのたびに、僕は少し引っかかった。

だって、その言葉を口にしているのは、もともと仕事ができなかった人たちではない。

 

以前は大企業で働いていた。

銀行でお客さんと向き合っていた。

教師として、毎日子どもたちの前に立っていた。

責任ある仕事を任され、数字を追い、人を育て、何年もかけて自分なりのキャリアを積み上げてきた人たちだ。

 

子どもが生まれ、産休・育休を経て、一度は職場にも戻った。

でも、やってみると難しかった。

仕事をしている間にも迎えの時間はやってくる。

子どもが熱を出せば予定は全部変わる。

仕事が残っていても帰らなければならない。

帰宅すれば、夕食、お風呂、洗濯、寝かしつけ。

 

それでもしばらく頑張った。

 

そして、あるところで限界を感じた。

「こんな働き方は、もう無理だ」

 

会社を辞め、今は専業主婦だったり、子どもが帰ってくる時間までのパートだったり、以前とはまったく違う仕事をしていたりする。

 

それを自分で望んで選んだのなら、何も問題はない。

 

…でも、話を深く聞くと、少し違う。

 

仕事が嫌いになったわけではない。

本当は、もう少し働きたい。

これまでの経験も使いたい。

社会ともつながっていたい。

「〇〇ちゃんのお母さん」だけではなく、自分の名前で、もう一度誰かから必要とされたい。

 

でも最後には、

「子どももいるしね」

と笑って、

「今の私には、このくらいかな」

に戻っていく。

 

僕は、このお盆に友人たちと話しながら考えていた。

 

いつから、

「以前と同じ働き方ができない」ことが、
「以前ほどの仕事はできない」ことになったんだろう。

ここは、まったく別の話なんじゃないだろうか。

「このくらい」と言うには、あまりにも積み上げてきたものが多い

僕の周りだけでも、似たような人が何人もいる。

大企業で働いていた友人。銀行員だった友人。教師だった友人。

実は僕の妹にも、似たところがある。

 

別に、数年だけ社会人を経験したという話ではない。

何年も働いてきた。

お客さんに怒られたこともあっただろう。

理不尽な上司に腹が立った日もあっただろう。

自分のミスで落ち込んだ日もあっただろう。

初めて大きな仕事を任された日も、

お客さんに「ありがとう」と言われた日も、

後輩の成長を見て嬉しかった日もあったと思う。

 

そうやって何年もかけて、仕事の仕方を覚え、人との関わり方を覚え、失敗の仕方を覚え、乗り越え方を覚えてきた。

 

その人の中には、もう十分すぎるほど「仕事をしてきた時間」が蓄積されている。

 

なのに、子どもが生まれ、会社を離れ、数年経つと、

「ブランクもあるし」「もうフルタイムは無理だし」

「今さら大した仕事はできないかな」

と言うようになる。

 

僕は、それを聞くたびに思う。

 

いやいや、あなたが積み上げてきたものは、

そんな簡単に消えるほど薄くない。

働き方の限界を、自分の限界にしてはいけない

もちろん、子どもがいることで制約は増える。

16時には仕事を終えたい。週5日は難しい。急に休まなければならない日もある。

転勤はできない。夜の会議には出られない。

これは現実だ。

 

ただ、ここから話がちょっと変わってしまう。

「8時間働けない」が、「責任ある仕事はできない」になり、

「毎日会社へ行けない」が、「私には大した仕事はできない」になり、

やがて、

「今の私には、このくらいしかできない」

になる。

 

働き方の条件について話していたはずなのに、いつの間にか、

自分自身の能力についての話にすり替わっている。

 

でも、

8時間働けないことと、価値のある仕事ができないことは違う。

 

会社へ毎日行けないことと、人の役に立てないことも違う。

会社を辞めたことと、キャリアを失ったことも違う。

出産によって、営業力が消えるわけではない。

企画力がなくなるわけでもない。

人を見る力も、話を聞く力も、調整する力も、誰かを育てる力も、なくならない。

 

変わったのは、

その能力を発揮するための条件の方だ。

 

だったら、

自分を小さくするのではなく、

条件の方を変える方法を考えればいい。

PTAに行くと、肩書きを外した人の「地力」がよく見える

このことは、普段PTAで一緒に活動していても、ものすごく感じる。

PTAでは、名刺を交換しない。

どこの会社に勤めていたのかも知らない。役職も知らない。年収なんて、もちろん知らない。

会社員だった頃なら当たり前にまとっていた「肩書き」が、ほとんどない世界だ。

 

だから面白い。

一緒に何かをやると、その人そのものの力が見える。

話が散らかったときに、論点を整理できる人。

誰も動かないときに、「じゃあ私やります」と動ける人。

文章を一度読んだだけで、分かりやすく直せる人。

人に嫌な思いをさせずに、お願いができる人。

トラブルが起きても感情的にならず、「で、どうしましょうか」と次へ進められる人。

 

そんな姿を見ると、

「この人、絶対仕事できる人だ」

と分かる。

 

そして後から話をすると、

「昔は大きな会社で働いていて」「専門職をしてました」

という話が出てくる。

 

やっぱり、と思う。

と同時に、

能力、何もなくなってないやん。

 

会社員ではない。正社員でもない。今は専業主婦かもしれない。パートかもしれない。

 

でも、その人が長い時間をかけて身につけたものは、普通に残っている。

 

むしろ会社名がない場所だからこそ、

「その人自身ができること」がよく見える。

 

それなのに、

「今はただの主婦なんで」なんて言う。

 

何年も働いてきた人が、

会社を辞めただけで「ただの人」になるわけがない。

 

そう彼女たちに言わせてしまう、今の世の中が変だ。

退職届に、あなたのキャリアまで添付しなくていい

銀行を辞めれば、「銀行員」という肩書きはなくなる。

教師を辞めれば、「教師」ではなくなる。

会社を辞めれば、その会社の社員ではなくなる。

でも、それだけだ。

 

銀行で身につけた、相手の話を聞く力。数字を見る力。ニーズをつかむ力。提案する力。信頼関係をつくる力。

 

教師として培った、伝える力。人を見る力。場をつくる力。人を育てる力。保護者と関係を築く力。

 

全部、自分の中に残っているはずだ。

 

退職届を出した日に、それらのスキルや経験まで会社へ返却したわけではない。

 

その10年は、会社の10年ではない。

自分の人生の10年だ。

 

時間を使ったのも自分。

悩んだのも自分。

失敗したのも自分。

乗り越えたのも自分。

 

だったら、

そこで得たものは、もっと自分の人生に持って帰っていい。

 

キャリアは、履歴書の昔話ではない。
これから先でも使える、自分の資産だ。

問題は「何もない」ことではなく、自分が持っているものに気づいていないこと

ただ、長く会社や組織で働いてきた人ほど、会社を離れた瞬間に困ることがある。

 

「で、私は何ができるんだろう」

と思ってしまう問題だ。

 

これは当然だと思う。

会社にいれば、会社が仕事を用意してくれる。

銀行へ行けば銀行の仕事がある。

学校へ行けば教師の仕事がある。

会社へ行けば、自分の部署の仕事がある。

 

誰のどんな問題を解決するかを、自分で一から考える必要はない。

 

だから長く組織にいた人ほど、自分の仕事を「会社の仕事」として覚えている。

 

営業を10年していても、「営業という能力を持っています」とは思わない。

企画をしていても、「私は企画ができる」とは思わない。

 

本人にとっては、

ただ普通に会社へ行って、普通にやってきたことだからだ。

 

でも、

その「普通」は、外へ出れば普通ではないことも多い。

 

だから、一度バラした方がいい。

会社名を外して、役職を外して、職種名も一度外してみる。

 

何をやってきたのか。

どんなことで人に頼られてきたのか。

何なら人より早くできるのか。

どんな相談なら答えられるのか。

何を説明すると「分かりやすい」と言われるのか。

誰のどんな困りごとなら、解決できそうなのか。

 

そうやって見ていくと、「元○○社」

ではなく、

「私は、こういうことができる人だ」

が見えてくる。

 

僕は、この作業こそ、

会社に預けていたキャリアを、自分自身へ返していく作業

だと思っている。

10年働いてきた人が、なぜゼロから別人になろうとするのか

もう一つ、最近よく違和感を持つことがある。

「また仕事をしたい」

「何か始めたい」

と思った人が、スマホで検索し、SNSを見てみる。

 

すると、

Webデザイン。SNS運用。動画編集。オンライン秘書。資格取得。

いろんな「副業」が出てくる。

 

それを見て、

「何か勉強しなきゃ」

となる。

 

もちろん、本当に興味があるならやればいい。

でも僕は思う。

 

銀行で10年働いた人が、

なぜ、その10年間を全部横に置いて、

突然ゼロからWebデザイナーになろうとするんだろう。

 

教師として10年間、子どもや保護者と向き合ってきた人が、

なぜ、「今はSNS運用が稼げるらしい」

と、突然まったく違う人になろうとするんだろう。

 

もう、十分いろんなものを持っているのに。

 

新しいことを学ぶのは、そのあとでもいい。

先にやるべきなのは、

「これから何を身につけよう」

より、

「私はもうすでに、何を持っているんだろう」

なのではないか。

 

ゼロから人生をやり直す必要なんてない。

 

これまでの自分を、

今の生活に合う形へ組み替えればいい。

求人票に、自分の人生を合わせなくてもいい

僕らは仕事を探すとき、まず求人票を見る。

勤務時間。勤務地。週何日。時給。仕事内容。

 

そして、

「これは子どもの迎えに間に合う」

「これは無理」

と、自分を当てはめる。

 

もちろん、それも一つの方法だ。

でも、それだけではない。

 

順番を逆にしてもいい。

自分の人生が先にあって、その人生に合う仕事を考える。

 

子どもが帰ってくるまでに仕事を終えたい。

なら、

その時間で価値を出せる仕事を考える。

 

毎日8時間は無理。

なら、

時間ではなく成果で評価される仕事を考える。

 

週5日は難しい。

なら、

週2日、週3日でも成立する仕事を考える。

 

通勤が難しい。

なら、

場所に縛られない形を考える。

 

一つの会社では実現できない。

なら、

複数の小さな仕事を持つ方法だってある。

 

今までの経験を、

相談業、講師業、企画、教育、サポート、文章作成・・・

そういう違う形へ変換することだってできる。

 

これは、

「だから起業しましょう」という話ではない。

 

会社員でもいい。

転職でもいい。

パートでもいい。

フリーランスでもいい。

 

重要なのは、

今世の中にある仕事の形に、自分の人生を無理やり合わせなくてもいい

ということだ。

 

これまでは、仕事が先にあって、そこへ自分を合わせてきた。

 

でも子どもが生まれ、人生の条件が変わったのなら、

これからは、

人生に合わせて、仕事の方をつくり変えてもいいんだ。

主婦でも、パートでもいい。「諦めて選ぶ」のだけは、もったいない

ここは、ちゃんと書いておきたい。

専業主婦が悪いわけではない。

パートで働くのが悪いわけでもない。

 

今は子どもとの時間を最優先したい。

だから仕事をしない。

それを自分で選んでいるなら、何も問題はない。

パートで週3日働くのが、今の自分には一番心地いい。

それも立派な選択だ。

 

僕が気になるのは、

本当はもっとやりたいのに、諦めた結果としてそれを選んでしまっている場合だ。

 

本当は、もう少し働きたい。

もっと稼ぎたい。

自分の経験を使いたい。

社会ともつながっていたい。

誰かの役に立ちたい。

 

そんな気持ちがある。

でも、

子どもがいるから。

ブランクがあるから。

もう何年も離れているから。

今さら無理だから。

そう言って、自分の中にあるものに蓋をする。

 

僕は、それがもったいない。

 

「できないから選ばなかった」

のと、

「できるけれど、今はこれを選んだ」

のでは、

同じ専業主婦でも、同じパートでも、まったく違う。

 

僕が大事だと思うのは、

何を選んだかではなく、選べる状態でいることだ。

お盆に昔の友人と会うと、「今のその人」だけでは見えないものがある

今回、昔の友人たちと話していて、妙な気持ちになった。

昔から知っているからだ。

 

その人が「お母さん」になる前を知っている。

学生だった頃も知っている。

就職したときも知っている。

仕事を頑張っていた頃も知っている。

 

だから、

そんな人が子どもの話をしながら、

仕事のことになると少しだけ声を落として、

「まあ、今の私にはこのくらいかな」

と言うと、

胸の奥が少しざわつく。

 

いや、全然そんなことないよ。

と思う。

 

僕の妹を見ても思う。

PTAで一緒に動いている人たちを見ても思う。

この人たちは、

「仕事ができなくなった人」じゃない。

母親になったことで、

能力を失った人でもない。

 

ただ、

今まで自分の力を発揮していた“働き方”が、今の人生に合わなくなった。

それだけなんだと思う。

 

だったら、

自分の方を小さくする必要はない。

働き方の方を変えればいい。

「前みたいに働けない」は、終わりの言葉ではない

一日はすぐに終わる。

毎日は、本当に速い。

 

そして忙しさは、

「私は、本当はどうしたいんだろう」

という問いを簡単に飲み込んでしまう。

 

だからもし、

このお盆に実家で少しゆっくりしたり、

普段とは違う時間を過ごしたことで、

「私、このままでいいのかな」

と思ったのなら、

その感覚を、また日常の中へ押し戻さなくてもいいと思う。

 

今すぐ会社員に戻らなくてもいい。

起業する必要もない。

資格を取りに行かなくてもいい。

 

まずは、

自分がここまで何を積み上げてきたのか

を、一度ちゃんと見てみればいい。

 

あなたの10年は、なくなっていない。

仕事を通じて身につけたものも。

誰かから必要とされた経験も。

うまくいかなかった経験も。

全部、残っている。

 

子どもが生まれて、

使える時間が変わった。大切にしたいものも増えた。人生そのものが変わった。

 

だったら、

今の自分に合った働き方の条件が変わるのは当たり前だ。

 

昔の自分に戻る必要なんてない。

昔と同じ働き方ができない自分を、昔より劣った自分だと思わなくていい。

 

前みたいに働けない。

だったら、

前とは違う働き方をつくればいい。

 

「今の私にもできそうな仕事」だけを探すのではなく、

自分がこれまで積み上げてきたものと、これから大切にしたい人生。

その両方から、仕事を考えていい。

 

僕は、本当はまだまだできる人たちが、

「今の私には、このくらいしかできない」

で、自分の未来を決めてしまうのを見たくない。

キャリアを失ったんじゃない。

今までのキャリアの使い方が、今の人生に合わなくなっただけだ。

 

使い方は、変えられる。働き方も、つくり直せる。

人生の状況が変わったなら、また選び直せばいい。

 

人生に、選べる未来を。

山本 佳典

1989年岡山県津山市生まれ。 同志社大学経済学部卒業後、株式会社三井住友銀行に入行。入社1年目から営業成績No.1のエリア表彰を受ける。入社5年目に独立起業後、現在の独立起業のプロデュースを行う会社を設立し6年で延べ2,000名超の支援実績。日本テレビ『NEWアベレージピープル』などテレビ3社、新聞3社、ラジオ、経済雑誌などメディア出演実績30社以上と多数。 中小企業庁認可「起業家教育協力事業者」中学高校有名大学で講師登壇。 著書3冊『これからは入社5年経ったら、もう独立起業しなさい!』『13歳のきみに伝えたい本当に必要な7つの才能』『社員ゼロで1億円を生み出す最強の稼ぎ方』がある。

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