改めまして、株式会社エス・プロモーション代表取締役の山本佳典です。
初めてこちらのページに辿り着いた方もいるかもしれませんので、まずプロフィールを以下にまとめます。
代表プロフィール
株式会社エス・プロモーション 代表取締役
平成元年岡山県津山市生まれ。同志社大学経済学部首席卒業。卒業後、株式会社三井住友銀行に入行。延べ2,000名以上、総預資産100億円超のVIP顧客を担当。入社1年目から営業成績No.1の全国表彰。独立後、独立起業のプロデュースを業務内容とする会社を設立。独立起業支援実績延べ2,000名以上。たった1年でフランチャイズ事業は60社加盟に成功、正社員ゼロのフリーランス組織200名超をマネジメントし、起業後5年でグループ年商5億円を突破。
日本テレビ『NEWアベレージピープル』や新聞、Yahoo!ニュース、ダイヤモンドオンラインなどメディア出演30社超。また、経済産業省認定「起業家教育協力事業者」として京都大学、同志社大学、関西大学等の大学から公立中学高校にて特別講師としての講演実績もある。著書に、ジュンク堂書店大阪本店、紀伊國屋書店梅田本店でビジネス書ランキング1位となった『これからは入社5年経ったら、もう独立起業しなさい!』(みらいパブリッシング)、『13歳のきみに伝えたい本当に必要な7つの才能』(彩流社)、『社員ゼロで1億円を生み出す最強の稼ぎ方』(明日香出版社)がある。
…という感じなんですが、元々僕は新卒で三井住友銀行に入行しました。そこから、入社5年目の時に銀行を退職して、起業し現在は会社を経営している、という人間です。上記のプロフィールにもあるとおり、ビジネス書を複数出版したり、テレビや新聞に出たり、学校で講演をしたりと、銀行員だった頃にはとても想像できないような人生を今送っています。
ごめんなさい、最初に言っておかないといけないことがあります…。
あ、最初にお断りというか謝らないといけないのですが、上のプロフィールのような経歴はあくまでも「表面上」見えるところであって、
元々銀行員時代は「どうしようもなく没落していったダメ銀行員」のレッテルを貼られたような人間です。(後ほどツラツラと包み隠さず嘘偽りなく書いていくので)
そんなどうしようもなかった僕がなぜ今のように変われたのか、あなたにもぜひ知ってもらいたいし、こんなどうしようもないやつでも大丈夫なんだから、自分もなんかいけそうと思ってほしい、というのがこの記事のメインの趣旨です。
今回は、僕がサラリーマンから独立した経緯と理由、そして実際に起業家・経営者となって感じた事を諸々話していきたいです。
退職までの葛藤、不安や恐れ、一歩踏み出した自分の思い、今起業家/経営者になって感じる事など、一つずつ丁寧に書いていきたいと思います。
また、この記事は、サラリーマンからフリーランス/起業家/経営者へなりたい、副業してみたい人に向けてまとめたものです。
今まで当たり前だと思っていた、正解だと思っていた、足元に敷かれたレールから一歩踏み出すための、背中を押すようなものになれば嬉しいです。
ここから先は、僕の素直な気持ちを包み隠さず書きたいので、砕けた表現を使います。ご了承くださいね。
僕が銀行を志望したのは”安定してそう”というありきたりな理由
僕が三井住友銀行を志望した理由は、あなたもきっとそうだと思うけど、
「安定してそう」ただそれだけだった。
綺麗で、聞こえの良い理由を作ろうと思えば、「お金を扱う仕事なので、広く世の中の人に役に立てそう」「成長できそう」「お金のことで悩む人をなくしたい」とか、そういうことが言えるのかもしれないけど、そんなことは一ミリたりとも心の底から思ってはいなかった。
そんな上辺のことを、就活の面接の時に必死に暗記して喋れるように練習しまくっていたあの時が懐かしい。それくらいだ。
むしろ、大学生活を3年くらい送った程度の人間が、社会に出てどうこうしたいとか、崇高な思いが溢れてくるなんてことは正直ないと思う。確かに、会社説明会で出会った行員の方の話は素直にカッコイイなと思ったけど、その時リアルタイムに思っていたのは、「どうやったら確実に内定が取れるのか」「大学の周りの人間よりも良い会社から内定をゲットしたい」というようなことで頭でいっぱいになっていたくらいだから。
その時、第一志望にしていた三井住友銀行から内々定をもらえた時は、心の底から喜んだ。すぐに親に報告した。昔から教育には厳しかった親だったし、これまでたくさん迷惑をかけたし、大学は自分が行きたかった国立大学に行けなくて親をガッカリさせてしまったという後悔がずっとあったので、やっと喜ばせられると安堵した。
※書いていて思ったが、やはり親の目というか期待というかを背負って生きてきたんだなと思った。あなたもそうじゃない?「良い学校に行って、良い会社に入る」というレールに乗ろうとしてた。なんの疑いもなく。
周りの友人たちも、「SMBC(=三井住友銀行のこと)内定ってすげー!」ってみんな言ってくれる。ザ・有頂天。
内定式、そして入社式と、実際に銀行員になっていくとさらにワクワクが増していった。
胸につける社章のバッジ(↓のやつ)。銀行のロゴが入った保険証。銀行のロゴが入った名刺。
俺は勝ち組だ、なんてリアルに思っちゃってた。(今思えば超恥ずかしいわ)
無我夢中で頑張ったので、結果もそれなりに出た
僕が入ったのは、リテール(個人向け)部門だったので、個人のお客さま向けに資産運用の提案を行っていた。全く右も左もわからなかったので、どうすれば良いか悩み苦しみながらやっていたけど、それなりに結果も出せた。
銀行員ならあるあるな、クレジットカードの勧誘のノルマも、新人の中ではかなりズバ抜けて契約を取っていたので、コンテストで表彰もたくさんされたし、その後正式な運用担当者に任命されてからも、保険提案の契約がポンポンと決まって表彰。他の同期に比べて、前線に立たせてもらえる機会が多かったのも奏功して、同期対比2倍くらいの数字は達成していた。
ん?なんかおかしい…銀行員生活思っていたのと違うぞ…
大企業のブランドも手に入れ、それなりに成果も出していて有頂天になっていた、そんな状態だった僕は、これから右肩上がりに人生は登っていくと思っていた。
でも、それは大きな大きな勘違いだった。
「銀行=監獄」
大袈裟だけど、本当にそれくらいの窮屈で生きた心地のしない環境だと徐々にわかってきた。
まずもってわかったことは、もう致命的だったけど、これだ。↓
自分は銀行員に向いていないことが発覚した
僕は「事務」「細かいルール」というのが、とにかく苦手だった。
そんなの銀行に入るまでは気づきもしなかった(←同じように感じている人いるでしょ?)別に細かい手作業とかもできるし、数学とかも別に得意な方ではあった。
でも、銀行業務における細かなルールや規則というのが本当にできなかった。壊滅的だった。
死ぬほどミスった。
特定の事務が本当に何回言われて指導されてもできなかった。
嫌すぎて、その業務が自分にできるだけ回ってこないように意図的にしたこともある。
事務のパートさんに無理やりお願いしてやってもらったことしかない。
山本は数字はあげれても、コンプラはまるでダメだな。
そう、せっかく運用商品の収益の数字が上げれても、その反面同じくらいにコンプラ的なNGが溢れ出てくる。
自店独自のコンプラチェックでもボロが出るし、ましてや監査なんか来たら終了。
山本のせいで、支店評価は下がる。ボーナスも下がる。
と全員から袋叩きにされるくらいだ。もう地獄でしかなかった。本当に事務なんてしたくない、逃げたかった。(実際に逃げた)
え?平成の世の中でこんなパワハラ実在する?
それに加えて、僕が在籍していた支店は、超がつくブラックな支店。やばいことで有名。
罵詈雑言当たり前、殴る蹴る当たり前、毎月精神を病んで休職退職に追い込まれる社員続出。
もちろん僕もその社内イジメの対象にあったわけで。
それまで成績が良かった僕も、相当な圧力をかけられてしまったせいで、どんどん成果が出なくなった。
仮に成果を出したとしても、怒られるし、さらに目標を吊り上げられる。
もちろん成果が出なかったら、鬼のような詰められ方。
個別に部屋に入れられて、数字を詰められるのかと思いきや、普通に理不尽なことで詰められる。もう有り得なかった。
もちろんそんな詰められ方をされたことなんて、これまでの人生でなかったわけで、耐えきれなかった。
メンタル崩壊、声も出ないわ、全身に蕁麻疹が出るわ。
営業の仕事なのに、声が出ない。声が出なくなってしまったことを上司に報告しようにもできない。当時住んでいた銀行の寮で、同期に代わりに喋ってもらって上司に連絡をしたり、支店で筆談でコミュニケーションをしたレベルだ。
挙句のはてに、「は?なんで声出なくなってんの?ふざけんな」とまで言われた。いや、あなたのせいですが。
究極的にメンタルがイカれてしまった僕は、もう自分の思考回路が完全にバグっていることさえも気づかなかった。
いわゆる適応障害みたいなものになっていたようだ。集中力は低下し、判断力はないに等しかった。
数字を上げろ、達成しなかったらどうなるかわかってるやろな。
もう脅迫だ。
そういう追い込まれた状態になったら人間どうなるか。
そう、ルール的に倫理的にやってはいけないことをやってしまう。明らかにそれは銀行のルールから外れていることでも、数字をあげるためにやってしまう。僕はそんな状態にまで究極的に追い込まれていたようだ。
結果は言わずもがな。そんなこともあって、とうとう僕は銀行で居場所を失ってしまった。
別に僕もそんなことまでしたくはなかった。せざるを得ない状況だった。でも、そんなのはタダの言い訳にしか過ぎないのだ。
どんなことが前提として理由があったとしても、悪いのは僕ということになる。決して許されない。それが銀行だ。
先日(2024年1月時点)もダイハツ工業で不正行為があったというニュースを見たが、それもまさしく上司からのパワハラがあり、その当該社員の人は絶対にやってはいけないようなルール違反を犯したとのこと。まさに、その当時の僕だ。すごく気持ちがわかる。
悪いのは僕だ。でも、でも、でも、その大元の元凶は明らかに上の人間だ。
でも、こんな末端の僕なんかの道理や訴えなんて通用しない。結局目に見える悪いやつを処罰した方がシンプルだからだ。
※こういう背景や状況があったことを全く知らない外野の人から見れば、山本が100%悪いと今でもきっと認識しているはず。僕のイメージはきっと最悪ど底辺だ。まぁ別に良いんだけどさ。
僕はもう銀行にはいれない状況になっていることを確信した。職員全員から無視されている。終わった。
それが入社4年目の11月の話だ。結婚したてで、僕の妻のお腹には子どもが妊娠していることがわかったというタイミング。
僕の人生は詰んだと思った。
銀行にもいれない、転職も無理、もう死ぬしかないのか…
僕の人生はリアルに崖っぷちだった。
あの時に有頂天になっていた自分が腹立たしいくらいに、自分のことが心の底から嫌になっていた。
もう銀行にはいれない。最終的に異動(左遷先の部署)の辞令が出るまで、仕事も何も与えられなかった。
ただただ、業務時間通りに9時に席に座らされて、何もすることがなく、定時になったら帰らされる。
会社で干されてしまった状態なんて、妻に言うことなんて、もちろんできなかった。
何もないように家では振る舞い、朝早く家を出て、マクドナルドで朝マックしてぼーっとして銀行に行き、定時で家を出てからも、ウロウロとして時間を潰して家に帰る。みたいな生活をしていた。
本当に自分が情けなかった。社会的に生きている心地が全くしなかった。悔しくて悲しくて、毎日泣いていた。
まだ仕事で生き生きしていた時は、お客さんからも必要とされ(ていたのか?)、周りからも賞賛をされ、
自分の存在価値を感じていた。
でも、自分の仕事が完全になくなった瞬間に生きている意味を失った。
僕は自分で言うのもなんだけど、頑張れる人間だと思っていた。
なのに、頑張りたいのに頑張れないんだ。もうそれが本当に辛かった。
そんな状況だから、転職サイトを見たところで、自分が何をしたいかなんてもわからない。
そんな気持ちにもなれない。
どうせ別の会社に行ったところで、同じようなことが起きるんだろ。もう人なんて信じられない。
もう死んだ方が良いなと思った。
自殺するなんて、全く想像することも今までできなかったが、その時は自然とそういう気持ちに向かっていった。
電車のホームに立っていると、ふっと線路に落ちそうになる。別に意識なんてしていない。
ギリギリでおじさんに止められて、命があった。しかも何回も。ああ、もう終わりだと思った。
ただただ、悔しい。今まで頑張ってきた自分はなんだ!
自分の手で命を落とそうと思った時、いわゆる走馬灯のようなものが駆け巡った。
今まで、学校生活や社会人生活で、勉強やスポーツやあらゆることを頑張ってきた自分の姿が思い出されたのだ。
自分の人生を幸せにするために、そして自分の家族を幸せに今まで頑張ってきたんじゃないのか!
死のうとしている自分が恥ずかしくなり、悔しくなり、憤りすら感じた。
大切な家族ができ、新しい家族ももうすぐ生まれる。
そんな時に死んでどうする。これからじゃないか、今までたくさん努力してきたじゃないか。
僕は生きることを選択した。
なんとか次に僕が生きる方法を見つけ出そうと思った。
でも、
はて、どうすれば良いんだ?
銀行もクビになる、転職なんてまた同じ人生の繰り返しだろ。
え。他に選択肢ない?
生きることは決めたが、術がわからなかった。
銀行員から起業するなんて発想なかった
どうすれば良いか全くわからなかった僕は、とりあえず安直な発想で「資格を取ろう」と思い、中小企業診断士の資格を取ろうと思って、テキストを買った。なにか食えそうな資格を取れば次の道も開かれるんじゃないかって思って。
ただ残念なことに、中小企業診断士のテキストをたくさん買ってパラパラ見てものの、全然進まなかった。単純に興味が全然湧かなかった。なので、その道はボツ。
とにかく次の選択肢を探そうと思って色々ネットサーフィンをすると、まぁ怪しげな広告がたくさん出てくる。
「スマホでぽちぽちしたら100万円稼げる」とかそういう系。そういう心理状態の時って、こういうのに引っかかりやすいんだよね。
まぁとりあえず何か得られるかもしれないと思って、行ってみると、もう胡散臭い胡散臭い。危うく危険な道に引き込まれるところだった。ふう。嗅覚は良かったようだ。
こんなことをしたいわけじゃないんだよ。こんなことやってるって家族や周りに堂々と言えねえよ。
なんかこう、もっと真っ当で自分の知識やスキルとか活かせるような方法ないのか。そう思っていたら、まさに出会えたのだ。
その当時たまたま見つけた本がこちら。
起業って方法があるんや!
今までの自分の体験経験に基づいて、自分の悩んできたことを解決した方法で、目の前の人を助ける、そんな「起業」という選択肢があると。
まさに目からウロコだった。今まで暗闇をもがいていた自分に、一本の光の筋がピッと入ってきた感覚。
これだ!これを掴むしかない!
2016年2月、僕は起業することを決意した。5月には子どもが生まれる。きっとその辺りには銀行から本当に弾き出される。
あと3ヶ月。たった3ヶ月。もう僕に迷っている時間は与えられていない。
3ヶ月で700万円稼ぎ、僕の人生は変わった。本当に起業できた。
銀行で何もできない時間が終わり、定時になった瞬間に飛び出して、大阪の中心で自分のサービスを提案し、終電で家に帰る日々を毎日続けた。
↑なんか、最初っから「サービス」があったかのように書いてしまったけど、全然そうじゃない。とりあえず自分に何ができるのかを考えたけど、全くわからなかったので、意味もなく人に会いに行きまくっていた時期が数日続いた。
そんな中で、僕が当初の当初にやっていたのが、「営業指導を行うコンサルティング」をなんとかかんとかやってみた。営業がうまくいかない個人事業主の人や中小企業に対して半年間の契約期間で導入してもらうというものだ。
今思い出しても、中身も全然ないし、形もないし、よくもまぁあんなので契約が取れたなと思うくらいのものだけど、その当時の僕からしたら必死でやったのだ。
最初は全然ダメで全く契約にもならなかったけど、やっとのことで一件目の契約が取れた時は、死ぬほど嬉しかった。
その時、僕は自分の人間としての価値を取り戻した。
今までは会社から当たり前に給料として毎月振り込まれていたけど、そうじゃなくて
「会社の看板にすがることなく」「自分個人の名前で」仕事が取れたのだ。
初めて受け取ったお金は本当にごくわずかな金額だったけど、その時の僕にとってはとんでもない価値だった。泣いた。
そういうことを積み重ねた結果、僕は3ヶ月で700万円ほどの売り上げを作ることができ、2016年6月末に銀行を退職することができたのだ。
だから、僕は起業を支援する役割であなたを救いたい
僕は、冒頭に紹介したようなプロフィールからは伝わらないような、本当にダメでクズでどうしようもないところから這い上がった。(さっきの話を聞いたらわかるでしょ?)
その当時なんて、「起業してこんなことを達成するんだ」みたいな綺麗なビジョンなんてまるでなかった。
生きるか死ぬか。なんとか人生を再起するんだ。そんな崖っぷちだっただけだ。
だから、お願いだからあなたには勘違いをしてほしくない。
副業や起業をするには、すごく大きな目標や成し遂げたいことがないといけないなんて思わないでほしい。
綺麗な理由がないといけないなんて思わないでほしい。
別に今の環境や状況から逃げるための選択肢として起業をしたって全然良いんだ。
わざわざ今のしんどい環境を我慢する必要なんてない。
付き合いたくもない人間と一緒にいる必要もない。
そんな奴のせいで身体や心を壊してまで頑張らなくて良いんだ。
今の仕事ですごい成果を上げていないといけないとか全然ない。
こんなことで起業したいなんてアイデアなんていらない。
ただ、あなたに必要なのは、一歩踏み出して僕と話をしてみる、そのひとかけらの気持ちだけだ。
僕はさっき紹介したように、銀行でもちょっとやらかしてしまったような人間だ。(僕からしたら、今でも悔しいけどさ笑)
銀行から逃げるように退職しただけの男だ。(今でも負い目を感じながら生きてるんだよ。あの時のこと思い出したら動悸がするんだ)
だから、別に気楽に話をしてみてほしい。
いろんな選択肢があるんだなって気づけると思う。こんな選択肢があるんだって思えるだけで、安心すると思う。
今まで2,000名以上、同じように悩んでいた人の人生を変えてきたという自負、実績はある。
だからあなたも大丈夫。これまでこんなにも頑張ってきたんだから。
とりあえず一回話をしてみようよ。
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